30年ぶりに漫画を描く。
思えば物心ついてからは漫画を兄や
友達と共作したりとかして
ノートに書き溜めてたもんでした。
本気で漫画家になりたくてひと通り道具を
揃え出したのは小学6年生ぐらいだったか。
でも何故か中3ぐらいになるとさすがに
道具を使ったなんちゃってブームも
去っていき、高校にもなると
またノート描きをちょくちょくと。
大学時代からはバンド活動に明け暮れ
絵を描く機会といえば自分のバンドの
チラシをデザインしたりする程度で。
バンド解散(というより脱退か)のあとは
CD教材のデザインやら
知り合いのバンドのチラシ作りとか。
洋画家の師匠に弟子入りしたのもこの頃で。
なし崩し的にイラストレータとして活動を
始めるのでした。
漫画家目指して何故かうだつの
上がらないポンコツイラストレーターが
見事に完成した、という(笑)
なんか身の上話に脱線してしまいましたが
まあ色々あって最近、仕事柄また
漫画制作に携わる事になったわけです。
とは言えどっかの雑誌に投稿する
訳でもなく、せいぜい教材として
使用する他はSNSに上げる程度だけど、
なんせ久し振りすぎるストーリー練り、
ネーム、コマ割り、下描き、ペン入れ、
ベタ、トーン貼り…とならではの
作業が楽しくもあります。
ただただ根気は必要かと。
もしもアシさんのいない環境下一人で
これだけこなし連載するなんて
これは本当にすごい事なんですよね。
ちょっと古いかも知れないけど
トキワ荘組の巨匠たちは
間に合わない時は協力して
お互い手伝いあって
原稿をあげていたと言う。
でも、今でこそ色んな手段で
色んなジャンルの漫画をプロアマ問わず
描いている方々がいる訳ですが、
みんなそれぞれ一生懸命に作品を
生み出しているところは
共通しているんだな。
あと所謂うまさなんてものは
(僕の感覚からすればだけど)絵が得意、
不得意に関係なく人の数だけ
それぞれあるし、あとは相対的な
人の好みなだけで。
自分で思う以上に「上手い」と
「巧い」は違うものだとも感じる訳です。
例えば形は不恰好でも観る側に
「なんだコレ」と思わせられたら、
笑わせられたら尚更ですが
それは「巧い」絵といえるのでは
ないでしょうか?
少なくとも注目させられていると
言えるのだから。
当然形が「上手い」絵も「すごい!」と
思わせられればそういう「巧さ」な訳で。
どちらがいいかと言われればそれが
好みの問題で。
ただ大多数のあくまで印象としては
「上手くて巧い」それでいてかつ
「わかりやすい」ほうを好む傾向が
ある感じはします。
でも、それだけのことだとも思います。
自分はこんな世の中だからこそ、少しでも
見てくれる人が安心できると言うか、笑顔になってくれるような作品を描いて行けたらと
思ってます。
ちいさなものがたり
長野県松本市を拠点に 転がるフリーイラストレータの 気ままな日常。
0コメント