絵を描くという行為は無意識だ。
とは言ってもここでは描くための理論を
駆使する時はという意味で、である。
具体的には遠近法、比率、トライアングル、
フレーム(芯線)なんか数えあげれば
キリないのだが、これらを駆使する時は
遠近法的には〜ととか比率は〜
なんて特に考えて描いてはいない。
描いて消して加えて削って…
繰り返しているとこれらの理屈は
無意識に駆使されているからである。
染み付いているとでも言うか。
様々な理論を消すか加えるかという
意味ではアナログ→デジタル変換して
描いているとも解釈することもできる。
そう考えると深い。
話を元に戻そう。
絵描きには大きく分けて二種類ある。
それは直観的感覚か理論的感覚なのか
という意味である。
僕の場合理屈っぽいイメージがあるかも
知れないが間違いなく前者である。
前置きの通り考えるよりも自分の
直観的感覚で筆を進めるタイプだと思う。
けれどもヒトに教えるとなると
自分の感覚がどうであれ、
それを伝えるには
理論的に説明できなければいけない。
コロナ禍によりオンラインという
新しい形態の交流が主流になりつつある。
その為に資料を作ることが多くなったけど
それは同時に自分の描き方の説明書を
つくるようなものだとも思う。
教えるために作っているものなのに
逆に自分に教えてる気がするので
無意識というのも皮肉なものである。
まあそれが逆に新鮮でやりがいが
あるのだけども。
ちょっと若い頃は理屈なんていらん!
なんて格好付けてたけれども
実際は単に考えるのがめんどくさいだけ
だったんだなとも気付く。
時もまた財産なんですね、本当に。
ちいさなものがたり
長野県松本市を拠点に 転がるフリーイラストレータの 気ままな日常。
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