絵なんか描いていると、見せる以上は
どうしても付き纏うのが評価。
まあ社会生活においては表現活動に
関わらずあるものではありますが。
とりあえず程度は置いとくとして
批評、称賛、炎上、これらすべて評価
のうちだと思います。
これはこのままでいいんだと
貫こうとすれば傲慢、
自己満足だと評価される事もあるし
かと言って周りの意見を聞きすぎ
取り入れ過ぎれば八方美人、
主体性がない、オリジナルリティが
ないとか評価される訳です。
一方で具体的であれ抽象的であれ
こうすればもっと良くなる、
という評価があったとしても
それはそう評価した側の意見なのであって
他方ではこの方が良くなる、もしくは
そのままの方が良いという場合も
あるでしょう。
つまり色んな感じ方がある訳ですよね。
正解がある訳でもなく
かと言って間違いでもない。
僕個人最近思うのは作品に
対しての評価とは
自然の声と似たようなものだなー
と思います。
風の音、雨の音、降り注ぐ日差し、
木々の騒めき、何気ない人々の騒めき。
色々ありますがこれらは心地良く
感じる事もあれば不快に感じる事もある。
時に優しく、時に激しく。
かと言って全く意味がないようで
学ぶところも沢山ある。
その中で取り入れたければ
取り入れればいいし
必要なければ流して
気にする必要もない。
上手いか下手なんてどうでも良い。
「腹ぺこあおむし」のエリック・カールが
「リアル」で「上手いあおむし」で
同じ本を描いたとしたら、
恐らく子供は泣くかドン引きするでしょう。
そこがあの方の「上手い」ではなく「巧い」
ところなのではなかったかと。
評価とはイコール「上手さ=巧さ」
では必ずしもない訳です。
あーあ、もっと「巧い」絵を描きたいなぁ。
ちいさなものがたり
長野県松本市を拠点に 転がるフリーイラストレータの 気ままな日常。
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