旧ソ連が初の人工衛星、
スプートニク1号を打ち上げてから
60年あまり。
古代文明を始め、プトレマイオス、
コペルニクス、ケプラー、ガリレオらが
それまで地上から眺め
観測するしか無かった宇宙に
人類が初めて足を踏み入れた瞬間だった。
さて、最近の世界動向を観ていると
何だか重要な事を僕らは置き忘れつつ
ある様な気がしてならない。
近年の宇宙進出とは戦争と紙一重だ。
もちろん、戦争ってものを肯定する
つもりは毛頭ないので結果論に
過ぎないけれど。
例えばミサイル開発なんかがそうだ。
元々は冷戦下の米ソのミサイル軍拡競争の
産物でロケット技術は磨かれてきた。
皮肉な話ではあるけれど国家間の
仲違いの結果宇宙進出を果たしてきた
とも言えるのだ。
今地球上には様々な問題がある。
温暖化から異常気象、資源の枯渇。
何せ地上の人々が全て先進国並みの
最低限の生活をするためには
地球が30個以上も必要になるという
統計もある。
話を元に戻すと宇宙への人類の憧れ、
と言うのは年々希薄になってしまって
いるのではないだろうか。
ごく一部の学者さんやマニアが騒ぐ
だけのことになってしまっていない
だろうか。
僕が思うに宇宙というより広い空間に
想いを馳せ知ろうとする事は
地上の問題を解決するヒントに
ならないかとも思うのである。
宇宙開発は戦争と紙一重だったとは
前述の通りだけど、その多大な犠牲を
払って手に入れたはずの技術が今や
単純に戦争の道具として各地で1人歩き
してしまってはいないだろうか。
憧れとは知ろうとする事でもある。
自分に何ができるかは分からないけれど
常に宇宙のような広い世界には
憧れを持っていたいものだ。
ちいさなものがたり
長野県松本市を拠点に 転がるフリーイラストレータの 気ままな日常。
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